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基本情報
佐光 英貴(さこう ひでたか)
【生年月日】1974年(昭和49年)4月7日
【サイズ】身長187cm 体重75㎏
【血液型】A型
【家族】妻(1975年4月生・B型)長男(2004年6月生・A型)長女(2010年7月生・AB型)
【出身地】北海道旭川市
【居住地】北海道札幌市
【仕事】保険代理店(生命保険17社・損害保険7社)
学歴
大谷さかえ幼稚園
→旭川市立東栄小学校
→旭川市立光陽中学校
→北海道立旭川東高等学校
→北海学園大学経済学部
旭川市立東栄小学校(1987年3月卒業)
親の教育がしっかりしていた?せいか、真面目な子どもでした。
学級委員も率先してやっていました~。
物心がついた頃から野球が大好きな子どもでした。
近所の空き地で暗くなるまで友達と野球をしていました。
小学5年生になり、東栄野球少年団に入団し、本格的に野球を始めました。
好きな野球を思う存分できると思いきや・・・。
現実は・・・今では考えられないスパルタ野球!
教師であるコーチ(実質監督みたいなもの)の体罰がひどい!!!
毎日ビンタが飛んでいました!
休みは元旦のみ。厳しい練習、体罰に耐え続けました。
厳しい練習のおかげで、チームはとても強く、旭川での大会はほぼ優勝していました。
5年生の時はレフト、6年生の時はファーストのレギュラーでしたが、
楽しかった野球が嫌いになってしまいました。
旭川市立光陽中学校(1990年3月卒業)
野球が嫌いになり、別のスポーツでもやろうかなと思い、
この頃から背も高かったので、バスケかな~と思っていた入学当時、
急に膝の成長痛に見舞われました。
軽く膝を曲げるだけで痛みが出る・・・。
これではバスケは無理だな~と断念しました。
そして友達から誘われるがまま、卓球部に入部しました。
当時は今と違って、卓球と言えば「暗い」スポーツ!
体育館の隅でひっそりと練習していました~。
ゆる~い感じで部活に取り組んでいた中学2年生の春、
急に勉強することに目覚めました。
なぜ勉強に目覚めたかと言うと、
母親同士が仲の良い同級生(女の子)が塾に通い始め、私も誘われました。
「別に行きたくないよ~」と言っていたのですが、とりあえず体験だけでもと
行ってみると、同じクラスの一番カワイイ子がいる!
「しょうがないな~、塾に通うわ~」と態度をころっと変えました笑。
それから、塾で一生懸命勉強を始め、中学3年生では、学年で第1位(313名中)
の成績をとりました。
そのカワイイ子には「勉強ができてスゴイ!」と言われて喜んでいましたが、
最後まで告白できないシャイな中学生でした~。
北海道立旭川東高等学校(1993年3月卒業)
旭川市ではNo.1の進学校に入学できたことに満足し、もう一度スポーツに真剣に
取り組みたいと思い、硬式テニス部に入部しました。
毎月テニス雑誌を3冊買い、テニスを研究する日々。
技術はもちろんですが、メンタル面も研究していました。
なので、真面目タイプから少々性格が悪くなったと思います笑。
高校3年生のインターハイ北海道予選ではベスト4(団体・ダブルス)入賞。
残念ながら全国大会にはあと一歩でしたが、満足できる成績でした。
一方、テニスに熱中するあまり、全く勉強をしなかったので、
成績はどんどん下がっていきました。
なのに、周りの同級生に触発され、「オレは北海道大学か小樽商科大学しか行かない」
という妙なプライドを持ち、受験しましたが、もちろん撃沈・・・。
札幌にて浪人生活を迎えることになりました。
札幌予備学院(1994年3月卒業?)
通称「サツヨビ」で浪人生活を送っていました。
「サツヨビ」は2006年4月に、河合塾に吸収合併されましたね。
住まいは、札幌競馬場近くの「希望寮」に入寮しました。
同じ高校の友達も多く、また寮で知り合った連中と、サッカーやバスケをしたりしていました。
勉強はそれなりに一生懸命取り組み、少しずつ偏差値も上がっていきました。
そして、また北海道大学と小樽商科大学を受験しました。
北海道大学はちょっとダメかな~、小樽商科大学は大丈夫だろうな~というのが受験後の私の感想でした。
いよいよ、合格発表!
な、な、なんと、両方とも不合格!!!
人生で最大の挫折でした・・・。めちゃくちゃ落ち込みました。
二浪させてほしいと両親に懇願するも、1つ年下の妹も大学に入学するので無理と一蹴されました。
そして、滑り止めで受験していた北海学園大学に進学することになりました。
北海学園大学経済学部(1998年3月卒業)
希望していなかった大学に入学したため、全くやる気のない大学生活。
「またテニスをやるしかない!」と思い、テニス部に入部するも、先輩と喧嘩して3日で退部。
この頃は、今では想像できないくらい血気盛んな若者だったんですよ~笑。
でもテニスはやりたくて、ちょっとチャライ?テニスサークルに入りました。
テニス以外の遊びや飲み会が楽しいサークルでしたね~。
また、バイトは、テニススクールでインストラクターをやってました。
週3~4回のバイトでしたので、月10万円以上は稼いでいましたね~。
勉強の方はというと、全くやる気がありませんでしたが、たまたま紹介されて、
カナダのブリティッシュコロンビア大学に短期留学しました。
バンクーバーにある大学で、ホームスティも経験できました。
ホント、好きなことを自由にやっていた大学生活でしたね~。
職歴
札幌銀行に入行(1998年4月~)
1997年に北海道拓殖銀行が破綻し、「銀行大丈夫?」と思いつつも、父親も妹も銀行で働いていたため、
なんとなく面接を受け、内定をいただきました。
就職氷河期かつ金融不安がある中で、銀行という狭き門を敢えて?運よく?突破しました。
初任店は「すすきの」。
昼夜を問わず、居酒屋からお姉さんのいる店まで守備範囲広く、「すすきの」をパトロール?する日々でした。
もちろん仕事でですよ~。
とは言いつつも、週1回は必ず合コンに参加していましたが笑。
法人の新規開拓が好きで、無視されても罵倒されても、
「こんにちは!私でお役に立てることはありませんか?」
と同じセリフを繰り返していました~笑。
若いからこそできたのかな~と思います。
「すすきの」→「帯広」→「本部」と異動しましたが、忙しいながらも
充実していた時期でした。
北洋銀行と合併(2008年10月~)
2008年10月に北洋銀行と合併し、小さな銀行(800名)が大きな銀行(3,300名)となりました。
当時、私は職員組合の役員をしていました。
合併前後は多忙となり、職員の心身のケアのサポートをしていました。
一段落した頃、逆に私が「大企業病」に悩まされます。
また、子どもたちが大好きなので、子どもとの時間をもっと作りたいと強く思うようになりました。
因みに、長女が誕生した時、私が3週間の育児休暇を取得しました。
当時は、男性初の育児休暇取得でした。
そして、私のワガママを通して、銀行員生活(16年間)に終止符を打ち、外資系保険会社に転職しました。
現在
2年間、外資系保険会社に在籍し、生命保険についてみっちり勉強しました。
そして、2015年3月より、現在の総合保険代理店である株式会社RKコンサルティングの
札幌支社長として活躍の場を移しました。
仕事とプライベートの垣根なく、好きな時間に好きなことをする生活を続けています。
資格
●2級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)
●トータル・ライフ・コンサルタント(生命保険協会認定FP)
●(社)相続診断士協会認定 相続診断士
●キッズ・マネー・スクール認定講師(日本こどもの生き抜く力育成協会)
●(社)ドルコスト平均法協会 会員
●簿記2級
●証券外務員一種
●生命保険・損害保険募集人
趣味
息子の野球観戦。
北海道日本ハムファイターズのTV観戦。
高校野球観戦。
野球しかないやん!!!
性格
真面目(よく言われます笑)。
丁度よいぐらい几帳面。
(女性の話は)聞き上手。(男性の話は)とことん語り合う。
苦手なこと
日曜大工(私、不器用なもので・・・笑)
正座(足が長いもので・・・笑)
好きな言葉
「まっとうに生きる」「愚直に生きる」~菜根譚より
「万里一空」
「ありがとう」
尊敬する人物
渋沢 栄一(日本資本主義の父)
ペスタロッチ(スイスの教育家)
大谷 翔平(プロ野球選手)